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自己愛性人格障害(151) 毒親 その3

両親家族というのは、
人間がこの世に生を受けて初めて接する環境である。
いずれにせよその影響下から逃れることは出来ない。

そして仮に毒親だった場合でも、
幼い頃は、それが普通なのではないかと思ってしまう。
だから友人から他の家庭の事を聞くと、
えっ?それ普通じゃなかったの?と感じる事もあるだろう。

ボクの親戚の家では、
父親が着座するまで家族は箸に手をつけてはいけないことになっていた。
食事している時はテレビをつけてはいけなかった。
まるっきりボクの家庭と異なるので驚いたものだ。

その親戚は農家だったので、おかずは残しても構わないが、
米だけは一粒でも残してはいけない、という教えだった。
それは良い心掛けだと、ボクは今でも守っている。

*****

ボクは今でも、自分の親が毒親だと思っていない。
しかし、友人に自分の親の話をすると、
「そういうのが毒親なのよ」と言われたことがある。
ボクは普通だと思っていた事、あるいは、
まあ仕方ないかなと思っていたこと、
それが他の家庭から見ると異常に思えたのだろう。

ボクは高校時代から30代にかけて、詳細な日記をつけていた。
読み返すと胸の痛い、
若さゆえの言葉で綴られた多感な時期の日記が、
10年分以上残っているのである。

ボクが日記を本気で時間をかけて書くきっかけは、
高野悦子の「二十歳の原点」からだが、
ボクの日記をつける習慣自体は中学生の頃に遡る。

中学生の頃、学校指定の「連絡帳」というのがあって、
担任の先生に毎日提出する5行くらいの簡単な日記がついていた。

ボクの父親は、それを盗み読みしていたのである。
何度かやめてくれと言ったのだが、
ボクが寝静まったところで、こっそりボクの部屋に忍び込み、
定期的に盗み読みしていたのである。

さらに、ボクの父親は、
「オマエの事は知っているんだぞ」と誇示したいがため、
その日記の内容を知らないと言えないようなことを、
あえてチラチラとボクに言うのである。

これって、やっぱり毒親かな(笑)

*****

基本的に担任の先生に見せるための日記、
他者に見せる目的で書いているものなので、
父親に見られてマズイことはないのだが、
常に父親が盗み読みするという前提で書くようになった。

さすがに、その後の個人的な日記は誰にも見せれない。
いつ燃やして捨てようかと思っている。

Posted on 2013-11-05 | Category : ブログ | | 7 Comments »
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コメント7件

 かつどん君 | 2013.11.13 4:23

はじめまして、こんばんは。
いつも、拝読しながら何かしらの情報を頂いております。
ありがとうございます。
私は毒親の子供(いわゆる被害者です)わたしの親は
子供に過剰な期待を掛けて支配しようとするタイプではなく、
ただ、単純に虐待する方のタイプの毒です。
暴力、性的虐待、精神的虐待、育児放棄フルコースの家庭でした。
性的虐待をしていた父親は早くに死にましたが、
暴力、精神的虐待、育児放棄の犯人は、未だ健在です。
ちなみにそれは母で、母は、どうやら自己愛性人格障害者でした。
今は、母とは絶縁状態です。
私は一児の母で、自分が毒親にならないように非常に気を付けています。
毒親の被害者も、また毒親になる危険性もかなり高いように思います。
人格障害者にならないように育てるのって細心の注意が必要ですよね、私のように自分が人格障害者になってしまっている場合はとくに・・・ちなみに、私は、境界性人格障害者でした。
この頃、加齢のせいか、だいぶ症状は出なくなりましたが、
やっぱり、怖いです。不安も有ります。
案の定、今はうつ病真っ只中です。
これからも、沢山の情報をご提供お願い申し上げます。
それを参考に、私は自分の感情コントロールのバロメーターに
させて頂きたいです。
今後とも、ブログの更新楽しみにしております。

 自己愛夫 | 2013.11.13 13:44

かつどん君さんへ

大変な思いされてきたところ申し訳ないのですが、性的虐待ってどんなことですか?いやらしい目で見るとかですか?
誰も居ない時ですか?

傷付いたらごめんなさい。ちょっと私事で気になることがあって・・・

 かつどん君 | 2013.11.13 16:51

自己愛夫さんへ、

身体に直接いろいろな事をされていました。
夜、寝ていると布団に足元から侵入してきました。
母親から、「お父さんと風呂に入りなさい」と言われ、
嫌々入っていた時も同じ様にされていました。
母親には、具体的に内容を言う事はできませんでしたが、
「お父さんとお風呂に入りたくない」と何度も言いましたが
聞いてもらえず、我慢するしかなかった。
一年間続きました。
私は当時小学4年生で、その行為がどんな意味なのか
分からなかったけど、死ぬほど嫌で嫌で仕方ありませんでした。
それと、なぜか人に話してはいけないような気もしました。
それ故、母親にも具体的に訴える事はできませんでした。
母親が、その事を知っていたかどうかは
今となっては確かめる事すら怖くてできません。

 自己愛夫 | 2013.11.13 21:10

かつどん君さんへ

言葉がありません。
辛い事をありがとうございました。

私にも娘がいます。気をつけないと。

 明日夢 | 2013.11.16 16:14

かつどん君さんへ

私も毒親育ちなので、かつどん君さんのお気持ち分かります。
父親に性的虐待をされたとの事。
匿名の場とはいえ、書いて下さった事は、とても勇気のいる事だと思います。
当時の辛い気持ち、蘇ってきませんでしたか。
大丈夫ですか?お体が心配です。

私も母親の再婚相手に性的嫌がらせを、小6から、中学生までされました。(毎日ではありませんが)
高校からは、避けてたので、大丈夫でしたが、
私が結婚、出産した後、実家にいったとき、(普段は滅多に行かないのですが、法事なので仕方なく)
私が子供に授乳している時に、部屋に入ってこようとすしました。
いくつになっても、スケベな奴だと思いました。
止めてと、いくら言っても聞きませんね。
「父親だからいいだろ」「家族じゃないか」
こう返ってくるだけでした。
それがきっかけで、母乳からミルクへ切り替えました。本当の話です。

子供頃は、かつどん君さんと、同じで人に話してはいけないと思ってました。
また、母は私を嫌っていて関心が全くないので見て見ぬふりでしたし、私も自分が母から拒絶されているのを小さい頃から分かってたので、話そうとも思わなかったです。

意識していても、忘れようと頑張っていても、
虐待された思い出は、鮮明で、なかなか色あせない。
つい昨日の事のように、はっきりと浮かび上がってきて、苦しくなって気持ち悪くなって、、、。
でも、子供の為に、生活の為に、忘れよう。頑張ろう。
そういう気持ちの波が、行ったり来たりの繰り返し。
疲れる時もありますね。
私もかつどん君さんと同じく鬱状態になったり。
年のせいもあり、ストレスで病気になってしまいました。
でもこうして、ここで色んな方の体験や意見で救われましたし、
かつどん君さんがコメントして下さったおかげで、今まで誰にも言えなかった気持ちの整理が少しつきました。
辛い体験を、本当にありがとうございました。

お互い無理せず、辛い思い出と上手く付き合って生きていきましょう。

 かつどん君 | 2013.11.17 17:04

明日夢さんへ

こんにちは。
私の方こそ、この気持ちを解ってくれる人がいるんだと言う事を
教えていただいて、心が救われる思いです。
ご心配頂いて、本当にありがとうございます。

私は、つい最近あるサイトで
“トラウマの症状を自分で克服する方法”なるものを知り、
日々励んでおりました。

そして、始めてから現在1月半ほど経ちましたが、
心の中に少しだけ変化が現れたように感じています。
それで、文章でだけなら吐き出せるようになりました。
まだ、誰かに直接話すと言う事はできませんが、
吐き出せる事で、だいぶ楽になりました。

つい最近までは、
思い出す度に、心も身体も痛くて
吐き気を催したり、震えが止まらなかったり
こんな状態で、こんなに辛いのに、なんで生きなきゃならないの?
と思っていました。

私も明日夢さんと同じ、子供の為、
子供の生活の為だけに生きてきました。

“お互い無理せず”の言葉、本当に嬉しいです。
ありがとうございました。

明日夢さんも、
これからの人生、穏やかに生きて行けるよう
無理せず、頑張り過ぎずいて下さい。

 ぴろり | 2014.04.14 12:00

仏教用語で『三毒』という教えがあります。

まさに人格障害の症状と当てはまります。

ご一読あれ。
http://www.arayashikiin.jp/Hotoke/bs0002.html

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