自己愛性人格障害(421) 江川の孤立 2
新潟大学で過ごした4年間は、今振り返ってみると非常に無駄な時間であった。もっと早く東京に出ていれば良かったと思っている。それが無駄だと思える要員のひとつが桜井一哉という人格障害者と4年間も部活を共にしたという点である。しかし人生は下書きのないキャンバスで、失敗しても上から新たな絵の具で塗りなおせば良い。適度な無関心と適度な人情、今の新宿での生活はワシにとって人生で最も幸福な時期である。谷山浩子の「カントリーガール」そのまま、都会の景色は変わる万華鏡。いつでもワシを刺激する七色プリズム。
弓道の試合形式はいろいろバリエーションがあるのだが、基本はひとり20射を放ち何本当たったかで競う。そして練習において自己最高記録を出すことを「自己新」と呼んでいた。ワシの公式練での自己新は20射19中である。そして、これがいかにも大学生らしいところなのだが、自己新を出すと、練習後に弓道場で先輩たちにあお向けに身体を抑えられ、的中数だけお腹を叩かれる「儀式」を受けなければならない。「おい、おまえ今日はいくつ的中したんだ?」「19中です」「よっしゃ!」と自己新の的中数だけ先輩たちに平手でお腹を叩かれるのである。これが痛いのなんのって。しかもその後にマジックでお腹に落書きまでされる。まあ、こんなバカなことが出来るのも大学時代ならではであろう。
夜の練習が終わると、1年生は練習で使った的を張り替え、次の練習に備える仕事があった。弓道の的は木枠に和紙を貼ったもので、その和紙の部分を水ノリで張り替えるのである。まぁ面倒な作業ではあるが、下級生の仕事である。その日も、練習後、いつものように1年生は的の張り替えを行なっていた。しかし、ワシは上記のように自己新を出して、練習後に先輩たちに「儀式」を受けた。思いっきりお腹を叩かれて落書きされて、一通り「儀式」が終わりようやく解放されると、遅れて的の貼り換えに加わった。その時である。桜井がわざとみんなに聞こえるように「独り言」を言った。
「あ~あ、何で俺たちだけで的貼りやらなきゃいけないんだよ!」
「的貼りに遅れてくる奴がいるからなー」
うわ、出たよ。扉が開いた人にはお馴染みであろう。人格障害者特有の「独り言を装ってアピール」である。これはワシに対する嫌味であり、周囲へのアピールであり、精神的な嫌がらせの一環である。自己新を出した時の「儀式」は、先輩たちに捕まるのだから拒否できないし、ワシだけでなく、みんなも自分の時は同じように受ける。その日はたまたまワシだっただけのことである。それがわかっているから、それで的貼りに遅れようと普段は誰も咎める奴なんかいない。むしろ、他の人が「儀式」を受けて遅れてきた場合でも、ワシは「自己新おめでとう!」と言ってあげていた。
ところが、人格障害者はターゲットを攻撃する材料を常に探している。こんな了解事ですら、ワシが自己新を出したのをきっかけとして、ここぞとばかりに桜井は「大きな声で皆に聞こえるような独り言を装って嫌がらせをする」行動に出たのである。本当にコイツは場の雰囲気を悪くすることを平気でするクズだなと思う。
その時の光景をワシは今でもハッキリと覚えている。桜井のこのような嫌がらせは毎度のことなので、奴の「独り言」には誰一人反応せず、みな黙々と手を止めることなく、まるで何事もなかったかのように、早く終わらせて帰ろうとせっせと的貼りを続けていたのである。まぁ、あくまでタテマエは桜井の「独り言」だから、ワシも含め誰も反応のしようがないわな。ワシは、途中参加だからと、その日は余計に張り切って的貼りをした。もちろんワシも桜井一哉の「独り言」は無視である。
モラハラ夫と離婚しない妻の気持ちを責められない。モラハラ夫と別れたいが、子供のことや経済的な事を考えるとなかなか踏み切れないのだろうなという気持ちは理解できる。ワシだって、このような人格障害者のターゲットにされながら、4年間部活を一生懸命やっていたのだから。仲の良い友人もいたし、先輩後輩同期を含め人間関係もあった。なにより弓道に情熱を傾けていた。こんなクズ野郎が理由でそれらを捨てることはあり得なかった。本当にコイツさえいなければワシは大学時代は全て良い想い出として残っていたんだがなー。
ブログを更新しようと思っていたら、いかにも人格障害らしいエピソードを思い出したので書いてみた。「江川の孤立」シリーズはまだ続く。今回は閑話休題っぽくなってしまったが、改めて、一体何をして奴をそこまで憎悪かきたてたのか不思議に思う。1992年に大学に入学して弓道部の門を叩いてその直後すぐからなので、それほど深い原因となる何かがあるはずがない。明らかに「それ」は、その後に醸成されたものである。次回こそ「それ」について考察していきたい。
コメント2件
せんち | 2019.05.09 11:13
*** あさがおさん
まぁ、桜井に同調してワシの事を好まない奴はいましたね。
でも積極的に嫌がらせまでしていたのはコイツひとりでした。
コイツ以外の事は全く不満なく楽しんでいたので、
我慢していたという意識はないんです。
で、これはオチになりますが、
桜井がその後どうなったか?
全くどんな人生を歩んでいてどうなっているか知らないですし、
ハッキリ言って興味もないんですが、
「自己愛性人格障害(415)人格障害者からメール来た」
ここで紹介したメールが来ました。
これ、桜井のことです。
あさがお | 2019.05.08 23:00
その状況、経験あります。
多分ですが、陰では桜井さんに同調してせんちさんの悪口を一緒に言う人が何人かいたと思います。
だから、表だって悪口を言ったら、みんなが同調してせんちさんを責めるはずだと思ったのでしょう。
でも、みんなはしない。
それは卑怯で恥ずかしいことだと知っているから。
でも、自己愛性人格障害にはわからない。
そんな時の自己愛性人格障害はポカンとした顔してませんでしたか?
4年間、よく我慢できましたね。
私は1年でしたが、とても耐えられるものではなかったです。
私に攻撃してきた自己愛性人格障害は、後に精神病みたいになりました。
桜井さんはその後どうだったのでしょう?
このレベルの嫌がらせをする人がまともでいるとは思えません。