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自己愛性人格障害(164) 神は天にありて 世はすべて事もなし

気が付けば、ボクももうジョンレノンが死んだ年齢を超えてしまった。
東京に来てからの友達ですら、もう10年以上の付き合いになる。

そんな友人のひとりが、昨日ボクの会社に遊びに来た。
一緒にいろんな話をしながら、その友人の顔を眺めて、
ボクはヘンテコな事を考えていた。

「コイツに嘘をついて騙してカネを引き出してやろうか」
「自分の責任を全部コイツに押し付けて逃げてやろうか」
「コイツの悪口を周囲に吹聴してやろうか」

もちろん、これらは全て、
人格障害者ウッキーがやっていたことである。

ボクは友人の顔を見つめて、そんなことは無理だなと思った。
他人の悪口を言う自分が嫌だし、良心も痛む。
無理、ムリ、むり、インパッシブル。絶対無理。

何を言いたいかというと、
人格障害者はすごいなあと(笑)

今、ボクの目の前にいる恩義ある友人を、
自分の目的のために陥れる事に躊躇しないという点。
本質的に良心が決定的に欠如していないと、
普通の感覚では無理な言動である。

そして普通の人が、
まさか相手がそういうことをするとは信じ難い気持ち、
それも、このように普通の良心と常識があれば当然のことである。

だからこそ、ふと、なぜ人格障害なるものがいるのだろうかと考える。
結局はその不思議を知りたい。。。のかな。

嘘をつくのに躊躇しない、
その場を逃げるためなら論理破綻も躊躇せず嘘をつく。
なぜそんなことが出来るのだろうかと不思議に思う。

言ったことを言ってないと強弁するのは、
本当に記憶にないのか、それとも嘘をついているのか、
それを知りたいと思う。

いや、人格障害者に対して、
嘘を確認すること、追求することの無意味さ、
これもわかってはいることなのだが。

ただ、目の前にいる10年来の友人を見ながら、
もし自分だったら、と考えると、やはり無理だと思ったし、
だからこそ人格障害者の特殊さ、異常さ、が感じられたのである。

このブログ、最後のタイトルは、
「神は天にありて、世はすべて事もなし」にしようと思ってる。
God’s in his heaven. All’s right with the world.

Posted on 2014-03-22 | Category : ブログ | | 20 Comments »
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コメント20件

 こゆきりん | 2014.03.22 11:53

人格障害の一番凄いところは「良心の欠如」により悪事を躊躇狼狽なくやれるところだと思います。
あまりにもすんなりやるので一瞬、この人なんて頭がいいんだろうとか、カリスマ性がある人だなと勘違いしてしまいます。
そういう勘違いさんがまた人格障害をサポートして更に事を拡大させてゆきます。
20代~30代のうちはその見分けがつきにくいのかもしれません。

一度自己愛の居る趣味の団体(20人~50人居たと思う)に属していた時に、自己愛が精神障害だと気が付いていたのは後に精神科医になる医大の生徒1人と60代の女性1人だけでした。
その時はまだインターネットも何も無い時代だったから尚更酷かった。今はまだマシです。

 はなこ | 2014.03.22 14:38

横レス、失礼します。

ブラウニング、ちょっと懐かしかったので...

私は、「海潮音」でぐらいしか知らなかったのですが、そういえば、「赤毛のアン」の最後にも(希望を示すものとして?)登場するし、私は読んだことがないのですが、萩尾望都の「ポーの一族」にも引用されているのだそうですね。

はじめは、ある春の朝ののどかさを歌ったものかと思っていたのですが、もっと宗教的(?)に感謝と満足(満ち足りた気持ち)を貧しい少女が歌ったものだと後で知りました。彼女の周囲は何事もなく平和だと、彼女は思い込んでいて、そのような世界を創造した神への感謝と平安で彼女の心は満ちているのですが、実際は、事はありすぎて、不倫や夫殺しなどさまざまな問題が彼女に近い人々の間で起きていた....そういう背景がある詩だと知った時はびっくりしました。

逆に言うと、周囲がどうであれ、心に感謝や平安を持つことは可能(すごく難しいとは思うけれど、不可能ではないのでしょう???)だから、そうしなさいという宗教的な示唆が入っているのかなと思ってみたりしています。

>このブログ、最後のタイトルは、
>「神は天にありて、世はすべて事もなし」にしようと思ってる。
>God’s in his heaven. All’s right with the world.

・・・赤毛のアンのように、神様が上から見ていてくれて、世の中はちゃんと治まっていくようになるんだよという希望を持とうということでしょうか?

社会として人格障害者への何らかの対策・対処が立てられるようになるか、あるいは、少なくとも人格障害者の周りにいる人間がどう対応していけば自分たちの安全や安心を守れるかという指針みたいなものが確立されないと、ピッパ(少女の名前)のような気持ちになるのは難しいと思います。

軽重はありますが、何人もの人格障害者に遭遇してきました。(人格障害という言葉を知ったのは、最近です。)現在は これまであった中で最強の人格障害者と2009年から対しています。専門家に言わせると、いくつかの精神障害が合併していて、かなり重症で、かつサイコパスでもあるそうです。一種のカルト集団みたいなものをいつの間にか形成しているようで、サイコパス本人からだけでなく、思わぬところからも攻撃がくるので、すっかり疲弊してしまい、自分自身が崩れてしまいました。グループとしては小さいのですが、洗脳(?)されて操られている人たちも、もともと人格障害っぽい要素を持っている人たちでした。(どなたかのコメントにありましたが、人格障害者の巣窟みたいなサークルというのがぴったりではないかという気がします。)

今、おこなってっている戦いは彼らから距離を置くための闘いですが、サイコパスは執拗に追いかけてきます。 昨年の春から、よいセラピストにかかり、精神科医である、(私とサイコパスの共通の)知り合いの助けもあって、少しずつ自分を取り戻せてきています。

今の自分の状況だと、
「>神は天にありて、世はすべて事もなし」
>God’s in his heaven. All’s right with the world.
という気持ちになれるのは、
前途ほど遠し思いを元山の夕べの雲に馳す
の感がまだ強いのですね、残念ながら。

というわけで、個人的な希望で恐縮ですが、このブログ、まだまだ続けてください。少なくとも、人格障害とその被害が広く社会に知られるようになるまでは、よろしくお願いします。

 せんち | 2014.03.22 17:02

*** はなこさん
あ、まだブログをやめるわけではないので。
あちゃー、タイトル同じですものね。

  | 2014.03.22 17:19

何故自己愛が現れるか?自分も一時考えましたよ(笑)わかりやすく一言で言うと…

「弱い者が幸せに生きる為の知恵」

…なんだと思います。頭で思い描く「理想の自分」…誰しもがなりたい訳で、でも誰しもがなれる訳ではないのもまた事実な訳で…

そこで「現実の自分」を受け入れられて、それに対して理想に近づく為の努力が出来たり、最悪理想を諦める事が出来る精神があれば、何も事件は起きないんですよ。

要は自己愛や演技などの人格障害の場合、そこで「現実を受け入れる強さがない」事が起因なんですよね。

受け入れられないから、理想に過ぎない誇大自己を、論理度外視になるほど必死に「現実なんだ!」と思い込む。要は「妄信」「盲信」と言います。

その過剰な自己への「盲信」から来る、良心が欠落した言動から結果として人に多大な迷惑を掛ける。でも本人には「理想の自分」になり切る事で精一杯で、人の迷惑なんて何も見えないんです。薄々分かってはいてもね…

そして迷惑を被った被害者は当然怒る!でもその怒られる当の本人は、先述の通り「理想の自分」にしがみつくのに必死で自分の非が全く見えていない為、自分に向けらるその怒りに対し「何で俺がこんな理不尽な事を言われるんだ…」としか認識できない。

そして対人トラブルが起こる。人格「障害」と言われる起因は、こうしたトラブルを多発させる事に由来するのかなって思います。

その後、自分の非を決定付ける様な証拠が露呈しても、どんなにめちゃくちゃで、つじつまが合わなかろうが言い訳が止まらない。

別に物事を論理的に話す脳がない訳ではなく、その過剰な自己防衛本能から正確な道理の思考を、脳が一時的にやめてしまうのです。そこで正確な道理で考えてしまったら、自分が悪い事を理解してしまって惨めになってしまうからです。

要は弱いながらも、それでもなお、幸せに生きていたい…でも何の能力もない…そしてそれを受け入れる強さもない。
そうなると自己愛に辿り着くのです。

 あやか | 2014.03.22 18:12

5年間付き合ってきた彼氏が、自己愛生人格障害だったんだと理解してから、心に一線引いた様な、客観視できる様な…以前なら彼の話を聞き流す事が出来ないくらい疲労困憊していましたが、今は彼等が話す事には深い意味は無く、自己アピールの時間がやって来たな。と思える様になりました。ところが…
彼等は良しにつけ悪しきにつけ周囲にとても敏感なアンテナを持っています。私の相槌が浅い事や、感謝の意を述べない事、賞賛しない事にすぐに気がつきます。自分を崇めない人間や、敬意を払わない人間、イコール自分の立場を揺るがす存在、イコール危険人物…になるので、結果自ら関わろうとはしません。これによって、毎日毎晩電話がかかってきて「あいしてるの?エッチしたい?」と言われてきた事に対しても、一貫性のない真逆な対応をとり始めます。あのクソ女俺が誰だかわかってんのか!バカにしやがって。と、誰かを捕まえて愚痴るか、独り言を言ってるに違いありません。(いつもは愚痴や批判を聞かされる立場です)なぜ誰かを罵る事で自分を維持できるのか、そこはやはり病理的なのでしょう。理解できません。一時は自分の生命まで脅かされ程憔悴しきっていましたが、最近は、他人と比較しないと生きていけない、小さな自己認識の世界しか知らない自己愛性人格障害の人を、かわいそうだと思う様になりました。常に興奮状態にありながらも、つまらない(欲望を満たす事はそんなに毎日起きない、人から羨望の眼差しで見られる様な事もしていない、得する事も頻繁には起きない)毎日を生きるのに精一杯。心にゆとりを持てない、自分は優待されるべきだ!という基本に元ずいているので、一般社会は苦痛であろうと思う。現実はとても悲惨で、一般人どころか、障害者であり、延々と満足する事のない欲求につき動かされ理想の自分に一生振り回される。一緒にいて安心できる相手、信頼できて心癒される相手を目の前にしても、それに気づかないということは、存在しないのも同じ。見た目はどうであれ、孤独を感じ、不安を感じずにはいられないだろう。そしてなにより、都合により変化するその人を理解しようと努力する人達を遠ざけるだろう。
彼等が一番必要としてるばずの理解者を自ら打ちのめすだろう。

 ひよこ | 2014.03.22 18:53

ioeさん

ならば、自己愛性人格障害は歳を取ると共にだんだん酷くなるということですよね。
ただでさえ弱い自分を認められないところに、どんどん弱くなり、完璧だと信じていた自分の姿を映し出す鏡がヒビ割れてきた時、ますます強固に現実を否認し嘘と妄想の中に閉じこもるようになるのでしょうか。

反対に他人の事はとてもよく分かるようで、人に対する批判はさも常識人のように(偉そうに)(上から目線で)述べるのですが…

  | 2014.03.22 22:53

ひよこさん

全くその通りだと思います(笑)後から自分のコメに追記しようかと思ってたんですが、ひよこさんが僕が言いたかった事を仰ってくれました。しかも僕より的確ですね(^_^;)

要は年を取って、能力も美貌も失って働き口も少なくなって、社会的に不利になった頃位に一番慢性化するんでしょうね…嫌でも見えてしまう自分を否定する為に、更に自己愛を強化させると言う、負の連鎖が自己愛の大きな特徴ですよね。

現にせんちさんの所に寄生していた「ウッキー」をはじめ、ここの皆さんの被害報告を見ると、中年層以上の人格障害者が多いように感じます。

もう年食った自己愛からしたら、改善の見込みが薄すぎる現実と向き合うなんて【絶望】しかない訳であり、言っちゃえば死活問題でリスクでしかないんでしょうね。だから藁をも掴む思いで…道理がめちゃくちゃになろうが人に迷惑掛けようが、「理想の自分」にしがみつく事に命を掛けているんでしょうね。

自己愛が上から目線で人に説教するのも、誇大自己の執着でしょうね。「批判する僕」を周りに知らしめる事で尊敬されたい訳です。何か人から尊敬される様な、目に見える能力がない為に「批判する僕」を見せる事で、自分が能力者である事を錯覚してほしいんでしょうね。

でも明らかに間違った人間を批判してる時は、確かに少し「おーなかなか言うな〜…」と、素直に感じる時はありますね。

けどそう言うのばかりでもなく、やっぱり「嫉妬心」が強いせいか、明らかに自分の目の上のタンコブな人を、無理に粗探しして批判してる時も多いですよね(^^;;

例えば「自分より仕事が出来る者」、自分みたいに「人を批判して注目を集めてる者」…とか!

そうなると当然相手からも同じ様に批判が帰ってくる…

自分が批判する時は、さも世直しみたいにみたいに罵倒する癖に、自分が批判される側になると受け入れられなくなって、見苦しい言い訳するのが特徴ですよね(笑)

要は「自分は飽くまで批判する立場であり、自分が批判されるのはあり得ない」なんですよ(´Д` )物事のつじつまも善悪も関係なく、何がなんだろうが…

【僕の批判により相手は恐れおののいて逃げていった】

って結果以外は納得できないんですよ。

よく自己愛の根本として親からの「過保護」「過干渉」が挙げられますが、僕の持論だと八割型「過保護」だと思いますよ。要はどんな間違いをしようが、物事の道理なんて関係なく「批判されるなんて情けないのは僕じゃない!」なんですよ(笑)

自己愛には絶対に言っちゃいけませんが…
見方変えれば可哀想だな〜って……

 ゆーすけ | 2014.03.23 11:04

ブログ一気に読ませて頂きました。
職場のちょっと変わった人だと思っていた人との関係に悩んでいて、このブログにたどり着きました。
程度こそウッキーさん程ではないものの、なるほど合点いくなと読み進めていました。過去の職場でいじめられてた話を繰返しはなしていたり、○○1級を持っていると言っているけど良く良く話を聴くと一般的に認知されている団体のものでなかったり、彼女が得意なPC操作が出来ない方をこき下ろしてみたり、毎週の様に高価なお菓子を持ってきたり、ちょっと変わってるなぁぐらいに思っていた人なのですが、ある時を境にばっちりターゲットになってしまっています。前の職場でいじめられてた話には、加害者が何人も登場してくるのですが、全ての話の終わりは「その加害者は仕事を辞めて、彼女が正しいと周りも言った。
」というものでした。
ターゲットになった始めの頃は、誰しも精神的に不安定にな時もあるよね、私も気に障ること言ったりしたりしてしまったのだろう…と思っていたのですが、ウッキー沸点にパターンがあるなと気付いた時には、すでに自分が疲れはてていました。「あーた、いじめられてたんじゃなくて、嫌われていただけよ。」と内心ツッコミをいれるも時遅し、もっと早く気付いて距離をとっておけば良かったと思っています。
私は1番手ターゲットなのですが、幸い(!?)2番手ターゲットの同僚がいるので、全く状況を理解してくれる人がいないという状況だけは避けられてます。彼女は上司には上手く取り入っているのか、私が上司に相談しても無駄でしたが、2番手ターゲットな同僚と話して心の平和を保っています。最近、いつもニコニコ上司にもかなりのパワハラ気があることが露呈してきているので、脱出(転職)準備を進めていこうかなと思ってます。二人にタッグを組まれては、私もおかしくなってしまいそうです。

 ひよこ | 2014.03.24 18:28

ioeさん

中年以降の障害者が多いところが、この自己愛性は俗に言う「頑固オヤジ」などとは別物の障害だということを表していますよね。残念ながら、歳を取ってだんだん丸くなるということがないのです(泣)

佐野洋子の自伝「シズコさん」のシズコさん(佐野さんの母)も私がこの人は自己愛だと思う一人なのですが、佐野さんはずっと嫌いだった母が呆けた時はじめて和解できたといいます。母親が自己愛の娘というのはどんなことがあっても心底見捨てることはできないのでしょうか?
身近な人間を見ていてもそう感じます。どうしても幸せなれない原因を作り出しているのが自己愛だとしても。

私は血の繋がりがないので、きっと涙もでないでしょうね(笑)

 ひよこ | 2014.03.24 18:54

あやかさん

はじめまして。あやかさんは男女の間のことですけど、書いていらっしゃる事一字一句残らずすべて私にも当てはまります。私が書いたかと思うくらい。(あやかさんの文書は見事で私はこんなに上手に表現できませんが)

若い頃は家族や友達が周りにいたであろう自己愛も、歳を取ると共にだんだん周りから人がいなくなって行きます。
本当に一番の理解者から攻撃のターゲットになります。
私にも避けられていることは分かっていると思うのですが、さも友達が多いフリを続けています。
そして、親戚と権力者(職業に貴賎はないと思うんですけど、自己愛は医者や会社経営者が大好物)にはあからさまな「いい人キャンペーン」を展開して老後の後ろ盾になってもらおうとしています。どうせそんな医者や会社経営者だって先に死んでしまうのだから、大事にするべきなのはもっと若い物達、自分の子供達なのに…

さすがに最近「孤独を感じている」と周囲に漏らしはじめたようですが、そんな言葉には少しも心が動きませんね。好かれたいのならそのように行動しなければ。自業自得です。

 パンケーキ | 2014.03.24 21:09

ひよこさん

ヨコヤリすみません。

「いい人キャンペーン」…吹きました。

 ひよこ | 2014.03.24 22:16

パンケーキさん

すみません。これ「佐村河内その4」でぴなさんが使っていらっしゃったのを勝手に引用させていただいたんです。
ナイスな表現ですよね(^_-)

 ムカムカ | 2014.03.25 1:49

「いい人キャンペーン」目に浮かぶようです・・・
まさに期間限定。
自分から、必死に相手を引き寄せていたくせに
望んでいない時に、相手から寄って来たら
「あの人が妙に踏み込んで来て恐い。距離を起きたい」
と第三者に「相談」。
状況が変わって、また勝手な都合でタゲを引き寄せたくなると
「最近、あまり会えなくて寂しい」と、すり寄って来る。
第三者には「あの人から、どうしてもって頼まれてランチに行ったの」と説明。
たまたま、複数の人格障害者と身近で関わったため、このように「タゲられる側」「相談される側」の両方を経験しました。

人格障害者は
1.信じやすく騙され易い人
2.打算で動く気の弱い人
3.自分と同じ人格障害の臭いがする人
を見分けて、それぞれに役割を与えて利用していたと思います。
1.は、タゲられ要員としての取り巻き役
2.もまた取り巻き役で、タゲをタゲるための協力要員。
3.は、ゆーすけさんのコメントにもありますが、タッグを組んで一緒に集団を牛耳る場合があります。

人格障害者と人格障害者をぶつけたらどうなるか・・・というコメントがありましたが
それと似た状況もありました。
人格障害者は、相手が自分より格上か格下か、という目で見たがるものだと思います。
自分より格上の人格障害者と出会ったら、下手に出て従順な協力者となるようです。
しかし、相手のことを信用せず警戒していたようで、距離を置いていました。
自分より格下の人格障害者には、弱味を付いて脅しつつ、従順にしていれば無害と見なして、それなりに一定の距離を置いた協力関係を築いていました。

歳を取って狡猾さに磨きがかかっているせいか、人格障害者同士が争うという状況は、自ら避けていたように見えました。

 ひよこ | 2014.03.25 11:06

ムカムカさん

そうなんです。自己愛の不気味なところはそのような嘘と捏造が日常的に使われていることなんです!
それらの嘘はほとんど真偽を確かめられることもなく(確かめてもしょうがない。確かめようがない。)そのまま過ぎるのですが、私は自己愛の身近にいるので全部分かってしまうんです。「◯◯さんに誘われて」とか「◯◯が来たいって言うから」という時はほとんど自己愛の方から誘っているようです。

自分の孫に「私は首相と友達で、一緒にゴルフをしたりメールが来たりする」と言ったと聞いた時には驚きました!
もし確かめればそんなの冗談だと言うに決まっているのですが、あわよくば孫に自分が大人物だと思われたいという魂胆がみえみえで嫌悪感しか感じませんでした。子供には「それ、他の人に言ったらダメだよ」と言いましたが、おばあちゃんが大嘘つきだなんて言えるでしょうか?

本当に、他人なら切れるが身内が自己愛の場合どうしたらいいか悩みますね。

  | 2014.03.25 21:24

ひよこさん

見方を変えれば可哀想でもあるんですよね(^^;;
やっぱり何か満たされないからこそ、人に感情いっぱいに当たったり、上から目線で優位に立ちたがる訳ですからね…特に仕事を一生懸命って言うのもないから、人間関係に依存するしかないんですよね(>_<)まず何歳になっても丸くはならなそうですよね(-。-;

やっぱなかなか母親だと縁が切れないもんなんでしょうかね…多分心理的には、ダメな男を放っておけない「ヒモに貢いでしまう女の子の心理」に近いんじゃないでしょうか?女性によっては母性本能が、ついそう言う方面に行ってしまう方も多いですよね。

うちの兄貴が長い間ヒモで、女の子に食わせて貰って生活してたんですが…どの女の子とも別れる時は必ずトラブルになってましたからね。暴力振るったりと…要は自己愛はそう言う「ほっとけない人」を見つけて、寄生するのが上手なんですよ。それが生きる道なんです。

因みに僕はそんな兄貴に一切甘い顔しなかったし、それどころか会う度にバカにしたりしてましたので、僕には会う度に愛想笑いだけで、自分の負の部分を出す事はなかったです。一方、気の優しい弟にはやりたい放題言いたい放題で、金借りに行ってました。

何が言いたいか…正直な話、自己愛に目をつけられやすい人っていると思います。

僕は兄貴とは血は繋がってますが、ひょっとして死んでも涙は出ないかも知れません…

 ムカムカ | 2014.03.26 11:02

ひよこさん

うわ~・・・
身内から、我が子までが虚言の世界に巻き込まれたら、本当に困りますね・・・

お子さんの成長を見ながら、おばあちゃんのこととは言わず
「世の中には平気で嘘をつく人もいるから、何が本当で何が嘘か、よく考えなければならないよ」
と、いうことを「一般論」として、教える必要があるでしょうね。

学校でも、不審者に気を付けるようになど、繰り返し教わると思いますが
その人が良い人か、悪い人なのか、表面からは分からない。
悪い人ほど、他人には自分のことを「良い人」「優しい人」に見せるものだと
子どもには、そういう教え方しかできないでしょうね・・・

でも、しょうもない嘘とはいえ、本当に子供の教育上よくないと思います。
万一、お子さんがそれを外の人に言うと、お子さんの方が嘘つきだと思われて、イジメられる原因になってしまうかも知れません。
そういう点を、ご主人はどのように考えていらっしゃるのでしょうね?

 みにみにけん | 2014.03.30 0:07

iceさん
「弱い者が幸せに生きるための知恵」
あまりに適切で、目から鱗です。
人格障害者にとっては、自分が幸せに生きるため、他人を犠牲にすることが生きるための知恵です。
そうでもしなければ生きていけないほど可哀想な人・・・
でも、被害が甚大すぎるため、他人が助けてあげられる範囲を超えていると思います。

 せんち | 2014.03.30 0:26

みにみにけんさん、
以前のハッキング騒動以来、リンクが消えていてすみません。
復旧をお願いしています。

 匿名 | 2014.03.30 5:10

私は自己愛と自覚しています。年齢とともに生きにくくなっています。自己愛でない周りの人たちと接すると、自分のおんぼろさが分かるので、自己愛の「友人」とおつきあいしますが、バトルがすごいです。ただ、別れた後「あの人は私よりヒドイ」と、自分が上なのを確認できるから精神上ラクです。
つねに根拠なく他人よりすぐれていると思ってしまうのは、治りません。さすがに理屈では自分が上とは思いませんが、感覚は治りません。
母親が自己愛。その母はアルツハイマーで、あんなに自分のことを優先して私に偉そうなことを言ってた人が、今は歩けず、喋れず、一人で喋れず、口をポカーとあけておむつをして実になさけなく虚空を見つめています。それを見て悲しいと思う反面、元気でいたら自己愛対自己愛でとんでもない生活を強いられたと、ほっとしています。
つねに他人を利用しようとか、小馬鹿にするしかしていない人でなしな私ですが、ひとつだけ世の中にいいことをしました。
それは、「子どもを産まなかった」ことです。自己愛が自己愛を生産する。こんなに罪なことはないでしょう。私には子どもの声が聞こえます。「おかあさん、産んでくれなくてありがとう」
なお、中絶したことはありません。妊娠もありません。もう生理は止まりました。

 せんち | 2014.03.30 10:27

匿名さん

人格障害は、完全に後天的なものだと思っています。
ボクは、いろいろ接してみて、そう確信しています。

だから、身内に人格障害がいても、
子供を作ることに躊躇しないでもらいたいなと思っています。

人格障害は後天性。
だから、子供をどう育てるか、それが親の責任です。

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