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自己愛性人格障害(180) 病的な虚言癖 3

さて話は佐村河内に再び戻ろう。
佐村河内は「耳が聞こえないのに作曲」というウリ文句で表舞台に立っていたが、
ゴーストライターの新垣氏はあっさりと「耳が聞こえないと感じた事はない」と証言。
おそらくそれを受けてであろう、佐村河内は反論する。

「本当に聞こえなかったが、3年くらい前から回復してきた」
「今でも手話通訳は必要だが、聞き取れるときもある」

そしてこの事件を最初にスクープした週刊文春のコピーを持ち出し、
蛍光ペンを引いたところが事実無根であると主張。

さらに、高橋選手がオリンピックで使用した「ソナチネ」という曲は、
自分の設計図に基づいて書かれているにも関わらず、
新垣氏は完全に自分のものだというような主張をしているのはおかしいと。

佐村河内は、「耳は聞こえる時もある」「回復してきた」と言う。
つまり、相変わらず聞こえないと主張しつつも、
嘘を指摘され、例外的に聞こえる場合もあると言うのである。

週刊文春の記事は、テレビで拝見する新垣氏の人柄、
生徒や親からの信頼の厚さを鑑みて嘘が書いてあるとは思えない。
何より嘘をついていたのは佐村河内ではないか。

それをわざわざ蛍光ペンでで引いて、 事実無根であると主張する。
もちろん、主観による部分では記憶違いがあるかもしれない。
しかし記事の本質は佐村河内が嘘つき野郎であるという点である。
記事に書かれている本質は間違っていない。

それにもかかわらず、本当はマーカーで引いた部分のみ、
しかも見解の相違といった程度の箇所を虚偽だと言って、
まるで記事全体が虚偽であるかの如く主張し、
なんと名誉棄損で告訴するとまで発言している。

佐村河内は楽譜が読めない、書けない。
新垣氏の証言によると、
彼は初歩的なピアノが出来るのみであるという。
これだってかなり気を使った言い方であろう。

新垣氏がほとんど全ての曲を代作していた。
それを、自分の設計図に基づいて作曲したのだから、
曲が完全に新垣氏のものだというのはおかしいと、
楽譜も書けない奴が言うのである。

さて、ここでお気付きだろうか?

前回紹介した藤村新一の言い訳を想い出して欲しい。
藤村新一は、捏造が発覚した時に「皆々ではない」と言い訳をした。

人格障害者は「稀な例外を全てに当てはめて主張する」のである。

これは物事を自分に都合よく解釈したり、
1褒められると100褒められたと周囲に主張する、
このような人格障害者の特長に派生するものである。

例えば鉛筆を一本あげると言うと、十本盗んでいく。
そして咎められると「鉛筆をくれると言った!」と言い訳をする。
このように自分の都合の良いところだけを抽出して主張する。

「カッコイイ感じで!」「歴史に残る曲を!」といった、
専門的には全く無意味であれ、とにかく自分が指示をしたのだから、
完全に新垣氏の曲ではないと主張している。

耳は聞こえる、作曲はしていない、
週刊文春の記事は全て真実で、自分は嘘をついて世間をだましていたが、
「皆々ではない」と言っているのである。

「稀な例外を全てに当てはめて主張する」
人格障害者と接している人は、この事を念頭に置いておいた方がいいだろう。

Posted on 2014-05-03 | Category : ブログ | | 1 Comment »
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コメント1件

 ぴな | 2014.05.16 18:58

新垣さんが暴露したあと「ご飯も喉を通らなかったが焼豚炒飯おにぎりをコンビニで買って食べたらことのほか美味しかったので完食できた。これはホントです。レシートもあります」とか何とか言ったというのをテレビでやっていて、大笑いしました。
そんなことどうでもいいわ、ってことまで必死になってる。この人大丈夫かな?
「かっこいい感じで」とかの指示も恥ずかしいと思っていなさそうだし、耳が聞こえる聞こえないの見苦しい言い訳に世間の失笑を買っていることをどれだけ本人が理解しているのか。
ただ新垣さんに対して「恥をかかせやがって」という思いだけが彼の真実なんでしょうね。

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