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自己愛性人格障害(232) 宗教と罪の意識 1

少し前に、大相撲の八百長問題が話題となった。
過去においても八百長を告発した人は大勢いて、
その代表人物が昭和最大の中盆(八百長の手配&調整係)だった板井圭介である。
板井圭介は著書やテレビで大相撲の八百長を赤裸々に告白している。

なぜ板井圭介が八百長を告白するようになったかというと、
とある宗教に入信して、そこで罪の意識に芽生えたからだという。

漫画家の小林よしのりの仕事場に、
かつてアシスタントをしていた男がふらりとやってきた。
実は辞めるときにスクリーントーンを盗んでいったので、
それを返しにきたという。
彼も、とある宗教に入信した結果、過去の罪に耐えられなかったという。

かと思えば、同じく漫画家の江川達也の場合。
母親と兄が、とある宗教にのめり込んでしまい、
父の遺産および、江川達也の印税管理をしていた立場を利用し、
江川の莫大な収入が、その宗教団体にお布施として寄付されていた。
当然、裁判沙汰になっているのだが、
そこでのやりとりが埒があかないものだったのだろう。
「世の中には人格障害みたいな話の通じない連中がいるんだっ!」
このようにテレビで声を荒げて発言していたのを見た。

宗教とは、信者以外から見れば、
江川達也のケースのように一般常識と乖離している場合もあるだろう。
かといって、十数年前に盗んだスクリーントーンを、
わざわざ返しにくるとは、正しいこととはいえ、過剰のような気がする。

宗教も良し悪しな部分がある。
それによって救われている人もいれば、
宗教対立が紛争の原因になっているケースも枚挙に暇がない。

日本人が信仰心に希薄だというのは間違いで、
門松もたてれば、しめ縄を飾ったり、初詣なんかも行く。
もっと言うと、クリスマスなんかも宗教関連のイベントである。
かように、ごく自然な形で日本人の生活に宗教は浸透している。
意識せずとも、宗教と生活は不可分なのである。
ただ一点、共産主義者を除いて。

(続く)

Posted on 2014-11-10 | Category : ブログ | | 2 Comments »
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コメント2件

 corococo | 2014.11.10 16:34

天邪鬼して、こちらにコメントすみません。

自己愛性人格障害の特徴の一つに
『特定の宗教(特に新興宗教)にのめりこむ』というのが記述されてることもありますよね。

私の知ってる自己愛連中は、
極端に宗教に興味のない、神をも畏れぬ振る舞いをするか
宗教をよく知り尽くしてる風を吹かすか、
まぁとかく全てが普通ではないので当たり前っちゃ当たり前ですが、
宗教ひとつ取っても、不快な反応を見せますね。

夫の実家は、義父が、政党を抱えるあの宗教の信者で
(余談ですが今間違えて患者と入力してしまった)
義母や、夫兄弟は、テキトーに流す名前だけ信者でありましたけども、
義兄が陰で学会をバカにする姿がちょっと気の毒でした。曲がりなりにも父親一族が信じてるのに。

一方、私の母方の実家はバリバリの神道なので、
知られたらどんだけイジメられるかと黙ってました。
結婚してから、日本の中にも、宗教同士で悪口言ってる人がいるんだと初めて知りました。
他所の宗教の悪口を書き連ねて信者に売りつける新聞があるだなんて。怖いなー。

 せんち | 2014.11.11 10:07

神道は教義があるわけでもなく、
宗教ではなく信仰というべき世界に比類しないものです。
日本という国が古代より安定しているのは、
八百万の神様がおわし、
祭祀王としての天皇陛下が権威として君臨。
古代の日本人は素晴らしいシステムを考えたなと思います。

宗教は人を救うかもしれませんが、
それよりも宗教を理由とする紛争の方が圧倒的に多い。
多くの宗教は一神教で、
だからこそ他宗の教祖を否定せざるを得ないのでしょう。
彼らにとって神とは唯一無二の存在ですから。

しかし八百万の神がいる日本では、そういう対立は生じ得ず、
寛容にどのような神様も受け入れる精神的土壌があります。

昨日、たまたま嫁さんと話していたのですが、
キリストやマホメット、
まあ麻原彰晃でも池田大作でも大川隆法でも誰でもいいんですが、
それぞれの宗教では、彼らが聖人として崇め奉る存在なのに対し、
日本の神道の神様は酔っ払いもいれば行儀の悪いのもいる。

スサノオノミコトは馬の皮を剥いで屋根の上に穴をあけて、
そこから女性が機織りしているところに投げ入れた。
そんな粗暴な男でも、やはり日本では神様。

これぞ日本の寛容性の源かなと思います。

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