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自己愛性人格障害(416) 因果応報

長年に渡ってワシに嫌がらせをしてきた奴からメールが届いたのをきっかけに前回のトピックを書いた。奴が自分の事が書かれているこのブログを見つけたのは偶然だっただろうが、突然過去の亡霊が眼前に現れたようで驚いたことだろう。何より奴のメールの動揺ぶりがそれを示している。いろいろ考えさせられるなと思った。

1985年のグリコ森永事件は、状況証拠や遺留品などからグリコの関係者が犯人だったと言われている。グリコは会社が大きくなる過程で、かなり強引な手法を行なっていたらしい。また下請けも多く泣かせてきたことだろう。トヨタやパナソニックといった大手になれば、下請けに皺を寄せている部分は少なからずあるだろう。マンガ島耕作でも、下請け会社の社長が自殺するエピソードがある。大企業が発展していく道程は、振り返れば死屍累々が腐臭を発している。グリコ森永事件は、その死屍累々が起こした事件ではないだろうか。

因果応報という言葉がある。過去の善悪の行ないが原因となり、その報いとして現在の善悪の結果がもたらされるという仏教用語である。

前回紹介した人格障害者から届いたメールを読んで因果応報を強く感じた。ワシは人生の大切な一時期、この男から4年間に渡って嫌がらせを受けていた。これだけ長い期間ずっと嫌がらせを継続していたのだから異常人格者である。詳細はさらに今後書いていこうと思っているが、それをワシがブログに書くことで、奴は自分の家族やお世話になっている人たちに影響するのを懸念しているとメールにある。しかしそれは過去に自分が行なってきた嫌がらせが報いとなっているだけではないか。原因はワシではなく、長年しつこい嫌がらせをしてきた奴自身にある。まさに因果応報である。

他人の恨みをかうようなことはしてはいけないなと改めて思った。もし相手がワシのようにタチの悪い奴だったら、時を経て怨霊として現れるかもしれない。風が吹いたら巡り巡って桶屋が儲かるのが因果応報。そして人格障害者どもはいずれ因果応報を受けると信じている。応報するのは神ではなく被害者たちである。人の心は怖いもので、他人の恨みをかうような言動をする奴は、いつ爆発するかわからない時限爆弾を常に抱えているようなものだと思う。

人格障害者どもがどのような因果応報を受けようとワシにとってはどうでもいい。他人の恨みをかうと、それは自分に返ってくる。観念的な話ではなく、人格障害者には被害者がいる以上、その被害者が黙っていないだろう。その時なって泣きを入れ詫びても遅い。

Posted on 2019-04-29 | Category : 未分類 | | Comments Closed
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