自己愛性人格障害(365) 沈黙の毒
若い頃、推理小説を読み耽っていた時期がある。誘拐事件の場合、誘拐自体は難しくないが身代金の受け取りをどうするかと友人と考えたりしていた。黒澤明の『天国と地獄』のように走る列車から投棄させるとか、一条ゆかりの『有閑倶楽部』のようにラジコン遠隔操作で誘導するとか、いかに接触しないで身代金を奪取するか、作家もいろいろ考えるなあと思っていた。ちょうどワシが中学校の修学旅行で奈良にいた時に、平沢貞通が獄死した号外を駅前で配っていた。捜査技術も発達した現在では、もし今、帝銀事件が起きれば、難なく解決するであろう。同様に「かいじん21面相」も今、動けば、確実に逮捕出来るはずである。紀州のドンファンが覚醒剤中毒で死んだ事件が難航しているようだが、今は検死の技術も発達して死体は多くを語り、少量の異物も体内から検出できるため、推理小説にあるような「物理的」に自殺に見せかけた他殺、というものは困難である。「物理的」には。
ずっと「水と油」のshizukuさんの事を考えている。モラハラ夫から離れ、新居に引っ越し子供と逃避した、そこから新しい人生が始まるまさにその時、自殺してしまった。その理由はワシなりに理解出来る。モラハラの毒、受けた精神的な傷は、離れてからも頭に残り永くダメージを与え続ける。人の記憶とは不都合なもので、楽しい記憶は刹那であっても、つらい記憶は深く心に刻まれ癒えることはない。特にモラハラは長い年月をかけて徐々に心を蝕んでいき、そのひとつひとつは小さいながら、知らない間に蓄積していき、気付いた時には既に回復不可能な状態になっている。あたかも体内で消化されないヒ素を少量づつ毎日摂取している内に命を落とす様に似ている。shizukuさんはモラハラという毒がまわり、離れてなおその毒に影響下で苦しまねばならない現実に気付いたのではないかと思う。離れたからオッケーとはならない現実に。
シアトルマリナーズがイチローを獲得する時に幹部のひとりが難色を示したという。「長打がなく、ただ単打を打つだけの選手だろう?」。スカウトが説得する。「確かに単打を打つだけの選手だ。しかしそれを年間200本打つんだよ」。人格障害に由来するモラハラの被害は、ひとつひとつは小さなものかもしれない。だからこそその時々は看過して気にしないで済むかもしれない。あえて指摘するほどのものではないかもしれない。しかし単打を重ねて年間200本打、それを10年続ければ殿堂入りの名選手である。打率と異なり安打数は蓄積するのみで記録上減ることはない。モラハラ被害は、そのようなものだと思う。
モラハラという体内に仕組まれた毒が少量づつ蓄積していき、知らずと身体を蝕んでいる。これがヒ素なり青酸カリなり覚醒剤なり、検出可能な毒であれば検死の結果他殺と見做される。しかしモラハラという人格障害に由来する「精神的」な毒は科学的に検出出来ず完全犯罪が成立する。電通に勤めていた高橋まつりさんが自殺した際も、超過勤務こそ問題視されたものの、彼女がツイッターで発信していたパワハラ的な要素は一切考慮されていない。目に見えないもの、精神的な圧迫は客観評価出来づらいもので、証拠的なものが残りづらい。裁判では言った言わないの話が考慮されないように、証拠がなければ客観的に判断出来ず、被害者の泣き寝入りである。指摘したところで人格障害者は「そんなこと言ってない」「やってない」とシラを切るのは扉が開いた人は知っているだろう。
人格障害に由来するモラハラは人を殺すために有効な、かつ完全犯罪が成立する毒物である。その毒は静かに蓄積していき、証拠を一切残さず相手を死に至らしめる沈黙の毒である。一度体内に摂取したモラハラという毒はけして解毒されることはない。人格障害者に対して唯一かつ最善の対応策は、とにかく逃げる離れるである。それは毒が致死量に達する前に摂取をやめるという意味がある。モラハラの毒は脳裏から消えることなく残り続け深い後遺症を残すだろうが、やはり早期に毒物から離れるのが先であろう。
覚醒剤から手を切った、とワシは信じたい清原和博は言う。
「やめてからも毎日が戦いです」