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自己愛性人格障害(418)人生を振り返る

高校生の卒業に際し、ワシは生徒会長だったので、卒業生を代表して校内紙に寄稿してくれと依頼された。ワシはそれを受け「人生の半ばに」というタイトルで書いたのだが、先生に「17歳で『半ば』は早いだろ」と言われた。太宰治が二十代で「晩年」を書いたのだから、17歳で「半ば」は遅いくらいじゃないかとワシは思っていた。1960年代のヒッピームーブメントのさなか「三十歳以上の人間を信じるな(Don’t trust over thirty)」という言葉が流行したように、高校生の頃は30歳以上の人生が想像できず、その年齢を迎えるのを拒み自分で死ぬのではないかと考えていた。あの頃は大人になるのが怖くて、ピーターパンになってネバーランドで過ごしたいと夢想していた。そんなワシも、あと数年で40代を終えようとしている。まさに「人生の半ば」を過ぎ、いつの間にか「晩年」かもしれない年齢になった。

ワシは富山県の高岡市という地方都市で高校卒業まで過ごした。自民党が盤石で読売新聞(正力松太郎の選挙区である)を読む保守的な地方都市にあって、どうしてワシのようなリベラルな人間が育ったのか我ながら不思議に思う。大半の人は地元の学校を出て地元で就職し、同級生と結婚して地元で生涯を終える地産地消の人生を過ごす中で、ワシには最初からそのような人生を歩む意思はなく、もっと広い世界が待っていると根拠なく確信していた。ここは世界が狭いとワシは思っていた。

そういった意味では新潟大学に進学したのも遠回りだったと後悔している。一般的な想像に反して大学はもっと狭い世界であった。大学のまわりに学生アパートが立ち並ぶ閉鎖的な空間は、まるで息が詰まるようであった。松本清張をして失踪が似合うと言わしめた日本海側のどんよりとした空は、まるで人生の未来まで鈍色に染めるようであり、このような場所から早く脱出せねばと思っていた。故にワシの本当の人生は東京に来てから始まったと感じている。新宿は今までの人生で最も長い期間年過ごしている街で、とても居心地がいい。

ワシの人生を振り返ると、仮に今死んでも、おおよそ相対的には幸福な人生だったと思える。ワシの人生は、おそらく他人から見れば羨むべきものかもしれない。もし輪廻転生があったとしても、今より幸福な人生はなかなか当選しないのではと思う。しかしそれはあくまで相対的な幸福であって、ワシもやはり多くの人と同じように生きづらさを感じている。低所得者が日々の生活に悩むのと資産家が相続税で悩むのとは本質的に同じであり、その立場ならではの悩みというのがある。ワシの生きづらさの原因を辿ると、そこに人格障害の存在が避けて通れない。

いつか詳細に書く日が来るのだろうかわからないが、地元にいるときは、ワシの弟が人格障害であった。地元を出たと思ったら、今度は入れ違いに新潟大学時代は同じ弓道部に桜井一哉という人格障害がいた。コイツに関しては改めて詳しく書こうと思っているが、狭い地域の狭い集団にあって4年間に渡る悪意アピールと嫌がらせを受けた事は、ワシを広い世界へ早く後押しした一因となっている。そして東京に来てからも、その自由で広い世界で多くの人と出会う代償として、人格障害者ウッキーや人格障害者キョショーのような連中とも接点を持たざるを得なかった。朕は常に人格障害と共にあり。

コイツらがいなかったら、家族はもっと居心地の良いものだったろうし、大学時代は良い想い出になっただろうし、東京での生活ももっと気楽で充実していただろうと思う。プラマイゼロが平凡な人生だとしたら、人格障害者による大きなマイナスを、それ以外の恵まれた大きなプラスで相殺してプラマイゼロになっているのがワシの人生である。今度生まれ変わるとしたら、このような連中とは無縁の人生を歩みたい。それが楽しみで早く死にたい。

Posted on 2019-05-04 | Category : ブログ | | 4 Comments »
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コメント4件

 シャンシャン | 2019.05.04 10:51

せんちさん

自己愛性人格障害者たちをやっつけて、現世でもっと幸せになってください。

私も、扉が開いてから自分の周りにどれだけの人格障害者が
いたのか気付きました。
なぜ逃げなかったのか、逃げられなかったのか・・・
それは、知識がなかったからだと思っています。

私は、自己愛性人格障害は、前頭前野の脳の萎縮によるものでは
ないか・・・といろいろ調べて思っています。
前頭前野は、感情・思考・行動抑制力を司るところです。

私は、人間として最も尊い感情は「共感力」であり、
最も忌むべきは「劣等感」だと思っています。

自己愛性人格障害者は、「足るを知らない」ので決して幸せにはなれない。 
自分が不幸なのは、自分の悪さなのに気付かないのか、気付いても認めないのか、です。

被害者は、学習して奴らに足を引っ張られないよう逃げるか、
戦うかです。
私も現在、せんちさんのサイトに知識をもらって助けられて、
幸せになるために、人格障害者数名と戦っています。

 せんち | 2019.05.04 14:31

>なぜ逃げなかったのか、逃げられなかったのか・・・
>それは、知識がなかったからだと思っています。

That’s true.
ワシも当時は知識がなかったので、放置するしかなかったです。

 れんげ | 2019.05.04 19:38

以前、[自己愛性人格障害(411) ツイッター凍結されてもうた]にコメントいたしました、れんげです。
丁寧なお返事で人格障害者による被害を共感して頂き涙しました。誰にも分かってもらえない辛さだったので。
通り魔にあったようなものだなと思います。
あの日あの時、異常者に出会ってしまったばかりに人生を台無しにされる。
私は親に虐待されて育ったので自分が置かれた異常な状況に気づくのが遅かった。普通の暖かい家庭というのが分からず被害が甚大になり、精神も身体も病に侵されてからやっと夫が人を人とも思わない人格障害者だと分かりました。

現代は人格障害者が生きていきやすい世界だなと思います。
資本主義はお金を持っている方が偉い。
私は病気を抱えながら、協力するどころか家庭を破壊して楽しむ夫の被害に耐え、子育てを一人でし、バイトもしていますがどんなに頑張っても夫の親族に馬鹿にされ、怠け者としてなじられます。
お金さえあればシングルマザーの方がどんなにかいいといつも考えます。
どうにか子供を真っ直ぐな心を持つ子に育てる。それが今私にできる精一杯のことです。

せんちさんご夫婦のような思いあい支えあう家庭が羨ましく思います。同時に、そんな優しい家庭が増えれば幸せな人が増え、ひいては楽しい世の中になると思うのです。

人格障害さえいなければ穏やかに争わず生きていけるのに。
せんちさんやその他善人の周りに巣くう人格障害が消えてなくなりますように。

 yome | 2019.05.05 14:17

世間に別人格の自分が一人歩きする、本当の自分の人生はこの世に存在しない事になるのか?あの世に行く事は恐怖より憧れ。
こんなドン底の私に力をくれたのはせんちさんです。
未だにこの世への未練は無いのですが、私は脆いはずなのに折れないし負けないんです、本来の自分を無くしたくないんです。
今せんちさんが苦労のすえ戦い続けて取り戻そうとされているものが、必ず願いどおりになることをお祈りしています。