自己愛性人格障害(230) 子供 5 「虐待の連鎖」
小さい子供が虐待を受けて死んだというニュースが多い。
そういうニュースを耳目にするたび、胸が痛くなる。
差別を承知で書くが、世の中にはどうしようもない連中がいる。
そういう奴らが他人の生き血をすすり、のうのう生きている一方で、
未来ある子供たちが若い命を落とす、それがたまらなく悲しい。
子供を虐待する、また死に至らしめる親は、
親になってはいけなかったのだろう。
子供を作るということは、覚悟が必要なのだろう。
子供のためになら死ねるという親もいれば、
子供を自らの手で殺める親もいる。
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話を北海道南幌町の事件に戻す。
高校生の女の子が、祖母と母を殺したという事件である。
逮捕された時に動機を「躾が厳しかった、この状況から逃れたかった」と述べた。
その「状況」とはいかなるものであったのか。
報道を通じてその「虐待」とも言うべき実体が明らかになっている。
罰として生ゴミを無理に食べさせられていた。
離れという名の物置で居住させられていた。
そして、近所の人は、事件が起きたと聞いて、
すぐにこの家族が脳裏に浮かんだそうである。
虐待は近所でも有名だったらしい。
家長という概念が薄れた現代とはいえ、
どこの家でも決定権を持つ一番「偉い」人がいるのではないか。
例えばボクの場合、結婚の挨拶の時に、
嫁さんの両親よりも先に、祖父母に挨拶してくれと言われた。
そして、この事件の家庭では、祖母が絶対的な権力を持っていたようである。
この女の子の両親が離婚した原因は、
この祖母と父親が上手くいかなかったからだと言われている。
それで離婚に至ったということは、母は祖母に頭があがらないのだろう。
いや、ただ頭があがらないだけではない。恐れていたのではないか。
というのも、古くから近所に住んでいる住人が、
この女の子の母親も、幼少時より祖母から、
厳しい「躾」という名の虐待を受けていたと証言しているのだ。
おそらく大人になってからも、
幼少期より刷り込まれた虐待の記憶が祖母を恐れさせ、
また自分がそうだったからと、
娘への「躾」を容認していたのではないか。
もしかしたら、それを当然として悪意すらなかったのではないか。
祖母から母へ。
そして母から娘へ。
なんという虐待の連鎖。
どこかで断ち切ることが出来なかったのだろうか。
このようなニュースを聞くと、本当に胸が痛くなる。