自己愛性人格障害(265) 言いやすいほう その2
ボクの一番古い記憶というのは、生まれてすぐだろうか、
ベビーベッドに寝転がって、ベッドメリーを下から見上げているのを覚えている。
グルグルまわる赤や黄色のオーナメントを下からじっと見上げている記憶である。
幼い頃の記憶というのは断片的で、時系列も曖昧である。
特に小学生以前の記憶は、
ちょうど木下恵介監督の映画「野菊の如き君なりき」のように、
記憶の画面がぼんやり縁どられたものとなっている。
*****
小学校高学年の頃だったか、中学生になっていたか、
時期の記憶が定かではないが、忘れられない父との会話がある。
今でもその時の様子がフルカラーで鮮明に脳裏に残っている。
その日、ボクは、友人の家に遊びに行く約束をしていた。
そこへ、父がパジャマ姿でやって来て、
タバコを買ってきてくれないかと言う。
もちろん、普段であれば、快くお使いに行くのだが、
その時は、友人と約束があって、まさに出掛けるところであった。
ボクは、今から出かける所なので、弟に頼んでくれと言った。
すると、普段は素直に言うことを聞くボクが断ったので、
少し意外な顔をして、こう言ったのだ。
「アイツが行くわけないじゃないか」
*****
ボクは、反抗期もなく、素直で、先生や親の言うことを守る子供だった。
勉強も出来たし、友達も多く、悪いこともせず、
学校の先生からも、完全ノーマークの安全な子供だった。
親の威厳を保つためには、お使いを断られることなどあってはならない。
だから断らないであろう、安全パイのボクにお使いを頼んだのであろう。
弟は例の人格障害者特有のブツブツ独り言のように文句を言ったり、
意思に背くことを言われたりすると露骨に嫌な顔をしたり、
お使いを頼んでも、親の言うことを素直にきく奴じゃない。
それは父もわかっている。
アイツが行くわけない、ボクだったら行ってくれる、
このように父は認識しているのである。
*****
どこの中学校でも、生活指導の怖い先生がいるものだ。
高校生の時、他の中学校出身の友人が言った。
「ウチらの学校の”怖い”先生は、普通の生徒には強くて、
不良どもとは仲良くしようというタイプだったんだよ」
なるほど、生活指導担当たるもの、怖いイメージを保たねばならない。
かといって不良どもは言うことを素直に聞く連中じゃない。
だから仲良く接することで、
「俺はおまえたちのことは理解しているからな」とアピールしたかったのだろう。
そんな浅はかな考えは、とうに見抜かれていたのである。
*****
自分の父を悪く言うのは非常に気が引けるが書かねばなるまい。
父は、威厳を失うのが怖くて、弟に頼むことを最初から諦めていたのである。
そして生活指導の先生は、先生という威厳を失うのが怖くて、
不良どもには強く出ることなく、理解を示す「フリ」をしていた。
いずれも保身である。
だから、言いやすい方に、言うのである。
前回の話で言えば、親よりも子に、弟よりも兄に、
知ったかぶりの説教をするのは、単に言いやすいからに他ならない。
「たったひとりの血の繋がった親なのよ」
この定型文を言いたいがために、
単に、それが当てはまる対象に向かって言っているだけなのである。
別に相手のことを本気で考えて言ってるわけじゃない。
上からの物言いでアドバイスできる自分、という虚栄心を満たすために、
ありふれた、オリジナリティのない、一般論であり、正論でもあり、
単なる当たり前の事実を、さも自分の意見のように言える、
そんな便利な言葉が、「たったひとりの血の繋がった親なのよ」なのである。
コメント6件
パンダ | 2015.06.26 2:27
せんちさん
『だから、言いやすい方に、言うのである。』
“言いやすい方”私は、おそらくこの部類に入るように思います。
今回の(264)言いやすいほうその2-のせんちさんの記事にて、改めて認識しました。
この部類に入るタイプの人物は、自己愛のタゲにされ易くなる気がします。
或いは家庭内においては、物事を依頼される確率が高いと感じました。(私事ですが…)
『親の威厳を保つためには、お使いを断られることなどあってはならない。
だから断らないであろう、安全パイのボクにお使いを頼んだのであろう。』
私の育った環境においてそういった原理が働いていたのからなのか、と改めて実感しました。
せんち | 2015.06.26 3:02
*** SARAさん
本気で説教するのではなく、
単なる挨拶程度の意味で「たったひとりの肉親なのよ」と言われる分には、
ああ、またかと流すだけです。
そこから更に突っ込んでくると、うるせえよとなりますが、
悪意で言っているのではないのは理解できるので、
ボクは、はいわかりました、と素直に言って話を終わらせるほうを優先させます(笑)
がん患者に「治療がんばってね」というのも、
まあ悪気がないのは充分わかるので、そのまま流しておけばいいかなと思います。
ちょっと前に流行した「鈍感力」でしょうか。
*** パンダさん
本当に、その事象について真摯にアドバイスしたいならば、
言いにくいことを、言いにくい方に言わねばならないはず。
自分で言うのもなんですが、言いやすい方は「いい人」なんですよ(笑)
「イイ人をやめると楽になる」といったタイトルの本がありませんでしたっけ。
本当にその通り。
ましてや上に立つ人は、嫌われてナンボ、嫌われることを恐れてはいけないと思いました。
corococo | 2015.07.02 10:13
義兄が我が家への明らかな嫌がらせを始めたのを知りながら、義父母は一貫して義兄の味方。
事情を知る人たちは、義父母は他界してるのかと思ったと口々に言うほど、義兄はやりたい放題。
兄のやり方に憤慨した夫に対して、義父母は
「良い子だったのに、嫁のせいで親に歯向かう」という思考回路を露呈したため、
子どものころから反抗期もなく成績も良く本当に良い子だった次男の夫が、
それまで兄の行為にだけ怒っていたのを、両親にまで激怒して
「なんでアッチに言わんのか?」と問うた答えが
「兄に言っても聞かないけど、弟のお前は聞き分けが良くて言うことを聞くから、お前に言うしかない。
お前が親の言うことを聞けば争いにならないのに、聞かないから争う。お前が悪い。」
ですと。
まともな弟だけでなく、頭のおかしい兄の方も庇うのは、
結局義父母自身が自分のことしか考えてないからだとよくわかりました。
息子がその性格の悪さで嫁も失い、弟も失い、社会的信用も失って、他人を妬み嫉みしながら人生に満足してなくても
両親である自分たちに尻尾を振ってたら、幸せなのだと。
自己中な人たちが、その場しのぎに”言いやすい方に言う”という行為が、次なる自己愛を生み出していくのだと思います。
チェンミン | 2015.07.31 14:39
友人がまさに自己愛嫁の被害に遭い、私は相談を受けている最中で、昨日、友人は親兄弟にこんな目に遭っている事は話せないと呟きました。何故かと聞くと
この「言いやすい方」だったんです。まさに。
彼は自分の母親にかねてからの自己愛被害を訴えるも、彼の母親の反応は
「お前がしっかりしていないからだ。会話をちゃんとしてないからだ。〇〇ちゃんがカワイソウ」
等々、味方になってくれなかったからだそう。
因みに私も結婚生活がそうでした。
私も友人もDVもせず家に黙々とお金を入れ、給料を全部飲んで打って買ってしまって明日のお米が無いとか、雨風をしのぐアパートの家賃も滞納した事もなければ、それどころか、自らの名義の借金で戸建まで買い与えました。
会話?いやいや、話しかけても沈黙を何週間も何か月も貫きとおすのは相手側であり、私も友人もご機嫌取りまでやっていた。
〇〇ちゃんがカワイソウ?あなたたち、自分の血を分けた息子がカワイソウではないのですか?
そう、言いやすいのは実の子側。そっちを非難すれば楽だから。いや、別に親を通して我々夫婦に介入しろとは言わないです。でも、なぜ、被害に遭っている私たちが「ちゃんとしていない」って言われるのか?
この友人の被害は現在進行形ですので、身バレを防ぐために、全部明らかにするのは全てが終わった時であり、書ける事と書けない事がりますが、書けそうな話があったら、逐次書いてゆきたいと思います。
なお、偶然にも友人の奥さんと私の奥さん、名前が一緒という・・・
せんち | 2015.08.02 14:21
*** チェンミンさん
ボクが書きたかったことは、
まさにチェンミンさんが書いていることです。
なぜ自分の息子がカワイソウでないのか?
親はどちらがカワイソウという判断で言っているのではなく、
どちらが「言いやすいか」という判断で言っているに過ぎないからです。
SARA | 2015.06.25 16:58
>「戦争反対」と同じで、反論の余地がない、
> 一般論で絶対正しいことを、
> ただ自分の意見のふりをして言っているに過ぎません。
うんうん、そうですね。
自分だとこうなってしまうかも・・・ですが、
平和な国の中で「戦争反対」とは言えても、
好戦的な国で身の危険を感じながらそれが唱えられるか・・・。
要は、正論を言うのも
言いやすい状況だから「戦争反対」
言いやすい相手だから「家族なんでしょ。」
ということでしょうか。
暗い話で申し訳ないのですが、以前私は抗がん剤治療をしていました。
よく言われることで、がん患者に「治療がんばってね。」というのは
禁句みたいなものです。
本人は抗がん剤の副作用やがんに対する不安を払拭することだけで
充分がんばっています、必死です。
その上に「がんばって」は追い打ちを掛けらるような気分になります。
言ってくれる相手は悪気がないのもよく分かっているので、
自分のひがみか・・・と余計に辛くなったりもします。
実際に経験すると、理屈ではなく何故「がんばって」が禁句なのか、
身をもって知らされました。
もちろん全ての人が、重い病気を患ったり機能不全家族だったりというのは
ありえないので、ついつい励ましと思えるお手軽な言葉を掛けてしまい、
実はそれで相手を逆に追い込んでいると言うことがあるのかもしれませんね。
ところで、
「言いやすいほう その2」の中で、
>ボクは、反抗期もなく、素直で、先生や親の言うことを守る子供だった。
>勉強も出来たし、友達も多く、悪いこともせず、
>学校の先生からも、完全ノーマークの安全な子供だった。
私の場合、勉強はさておきですが(苦笑)、
「反抗期もなく」と言うところが同じかも・・・と思い、
ちょっと心に引っ掛かった一文でした。
テレビなどでは反抗期も成長の過程で有った方が良いような事はよく聞きます。
しかし、だからと言って、有ったから良い、無かったからダメでもなく、
家庭環境・個人差でケースバイケースなのでしょうね。
ただ、これは私自身の事ですが、
暴言など親に分かるような反抗はまずしなかったものの、
「なんで?!」と感じる事は多々ありました。
そして、あの時もっとそんな反感を表に出しておけば良かったのかと
思うことがあります。
結局そんな積み重ねが「その2」で書かれていたような
家族の中で「言いやすい方」の私を作ってしまったのかもしれないですが、
随分年を経てその反動が来てしまったようです(^^;