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自己愛性人格障害(033) I LOVE ME ・・自分しか愛せない人々

今回は、ボクの主観はさておいて、
とあるホームページで見つけた文章を紹介したい。
ちょっと長いが、本質を的確に捉えている。これを読んで、
やはり人格障害者ウッキーは人格障害であると 改めて確信した。

現在進行形で被害に遭われている方も、
ボクのこの日記を読んでくださっているが、
皆、疑念が確信に変わるのではと思う。

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I LOVE ME ・・自分しか愛せない人々

人は誰しも自分を愛し、大切にしようとするものだ.。
しかし世の中にはその度合いが高まりすぎて自分しか愛せない、
自分のことしか考えられない人達が存在する。
この人々は何があっても自分には責任や問題がないと考える。

どんな時でも他人が悪いから、
たとえわずかでも相手側のミスや落ち度を見つけてあげつらう。
その言い分はいつでもコロコロ変化するため、
矛盾も前言撤回も、棚上げも平然と言い放ち、
自分に都合の悪いことはキレイサッパリ忘れる。

こういう人間とは話し合いをしたり理解を求めることは早々に諦めて、
とにかく相手にしないことが一番だ。

なんでこの人々はこんな風になったのか。
親に愛されずに育ったり否定され続けたり、
酷い目に遭わされて生きてきたためか、

酷い劣等感・低い自尊心、
歪んだ人間関係の持ち方を身につけてしまったと思われる。

I LOVE MEな人々は決して幸せではない

I love meな人々はあれほどまでに自分本位に生きてるんだから、
さぞかし幸せだろ~な~と思ったりするが、実はそうでもない。

単純に考えてこのような人々に魅力を感じるだろうか。
全然感じないはずである。

その証拠(?)にこの人々は極端に人付き合いがヘタで友達がいないはずだ。
この人々は一見外面がいい。
人当たりもよかったりして【付き合いが浅いうちは、いい人】なのだ。
実際家族や友人、同僚達の評判もよかったりする。
細やかな気遣いがあったり、道化役で周囲を楽しませたり、
学歴や社会的地位の高い仕事に就いている場合が多い。
そして道徳的、立派な発言も多かったりするのだ。
だから周囲は一見「この人はこんな立派なことを言うのだから、できた人だ」と思わされてしまう。

しかし反面これは【作り上げた姿】、【外面】にほかならない。
付き合いの浅い関係、
または支配できない人間に対してはこうした付き合い方をするので、
長年この人間と付き合いを持っていてもこの人々の本性はわからない。

この人々にとっては表と裏が「あって当たり前」なのである。
そんな相手に「常識」だの「愛」だのウダウダ言ってる方が問題ありかもしれない。

この人々は根本的に人の気持ちに無関心で、
他人の苦しみや悲しさに対して冷たい態度をとる。

また感情に乏しかったり、他人の欠点や間違いを見つけては批判したり、
「こうあるべきだと思うんだ」と理想論を偉そうに語るが、
しかしそこには「自分」はあてはまらない。
この人々は自分は到底できないことでも偉そうに語れる図々しさを持っている。

また他人の成功を横取りしたり、
自分が一目置かれたいために自慢話や教訓を垂れたりするが、
しかし自分への注意や批判は絶対に受け付けず、
怒り狂って相手を攻撃したり、相手の人格を陥れるようなことをする。

こんな人間に魅力を感じるだろうか。誰も感じない。
だから他人は徐々に離れていく。

I LOVE MEな人々は自分をすべて肯定してくれる人を求めている

この人々は人嫌いなのかと思ったりするが、
実は人との関わりを必要としている。

しかしこの人々が必要とする「人」は、あくまでも自分のためでしかない。
自分を認め賞賛してくれる人。そして自分をまるごと受入れてくれる、

いわば【理想の親】のような存在でしかない。
この人々にとって、他人は【自分を受入れてくれているかどうか】でしか興味がないのだ。

自分を受入れて貰えないと、まるでダダッコのように感情的になったり怒り狂う。
自分の問題や責任を問われると逆ギレし、
相手の欠点をあげつらったり、自分の不幸を並べたりする。
この人々がいつも被害者面するのも、
自分を憐れみ泣き言を言っていれば自分が良くならなくても許して貰えると思っている。
他人のせいだと恨んでいれば、自分は回復しなくてもわかってもらえる、
優しくしてもらえると思っている甘ったれなのだ。

I LOVE MEな人々にとって責任はいつも相手にある

この人々にとって問題が起きたとき責任は必ず自分以外にあると考える。
そこに理由や理性など全くない。

自分は非難の対象外だと思い込んでいるので、
何か起きればそれは決まって世の中や周囲が間違っていると決めつけて、
自分の責任や問題を他人や周囲になすりつけていく。

こうすることで自分の問題に目を向けなくて済むし、
自分は欠点のない人間だと思い込むことができるからだ。

この人々が自分に責任や問題があることを気づきそうになると、
それを阻止するために激しい抵抗をされることがある。
自分の問題を指摘するものは叩き潰すしかないのだ。

Posted on 2012-09-11 | Category : ブログ | | 7 Comments »
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コメント7件

 サンポ | 2012.09.11 17:42

私の知り合いの中に、こんな人が二人います。
一人は男性、もう一人は女性。
今は二人とも付き合いありませんが、男性は知ってる人ですよ(笑)
自己愛性人格障害って言うんですね!

 せんち | 2012.09.11 19:04

現在その方々とはお付き合いがないということですが、
おかしさ、違和感から離れてみて、
やっとそれから気付くことが多いそうです。
名札つけてて欲しいです。

 cocoa | 2012.12.18 21:07

正に私が経験した人物そのものです。
あり得ない体験をしたのは自分だけじゃない、
そう思えて気持ちが少し軽くなりました。
ありがとうございます。

 元被害者 | 2012.12.19 22:30

>人当たりもよかったりして【付き合いが浅いうちは、いい人】なのだ。
実際家族や友人、同僚達の評判もよかったりする。
細やかな気遣いがあったり、道化役で周囲を楽しませたり、
学歴や社会的地位の高い仕事に就いている場合が多い。
そして道徳的、立派な発言も多かったりするのだ。
だから周囲は一見「この人はこんな立派なことを言うのだから、できた人だ」と思わされてしまう。
これは本人がやる場合には”礼儀正しい上品な振る舞い”で、ターゲットがやると”へつらう”、”媚びる”のだそうです。
支配下の人間が他の人と少しでも笑顔で話しているのを見ると、後で「へつらうな」と怒ってきます。
それに従って仕方なく無愛想に振舞うと、今度は失礼な態度だと言ってやはり怒るのです。

 せんち | 2012.12.20 14:24

*** cocoaさん
人格障害のことを書かれた物を読むと、
皆、一様に同じ感想を抱くみたいです。
まさに自分が経験したアイツと同じだと。
ボクもそうでした。
つまり、これは類型化できる病理なり現象なりで、
何も特別その人の個性ではないということがわかりました。
それが、このブログを始め、
人格障害について書いてみようと思った動機です。
ぜひ今後もコメントを寄せてください。

 匿名 | 2013.07.06 1:13

お~ こんな記事があったとは。

私は今まさにこんな奴と直面している。

碌な教養はないが、調子のいい話を立派な奴に思える
ような態度で話をする。

他人の賞賛が生きる糧。

手柄は自分の物で失敗は他人の物。

モラル、規範意識、自尊心がない。

年寄なくせに見栄っ張りで華美な服装、アクセサリー
を好む。そこに知性は感じられない。

言うことがころころ変わり、その場しのぎの嘘を
平然と言い放す。

責任という言葉を好むが自分でその意識は皆無
で全く無責任。

全く他人に無関心。

マスコミに出ることに異常な執着があり飽くなき自己顕示。

他人に批判を浴びると、全く訳のわからない論理で
気違いのごとく猛然と反撃する。妥協という概念がない。

いつも自己保身。

60歳超えているのに女に異常な執着があり、
出所のはっきりしないセックスドラッグを
常用している。

もらいっ子で養子として育てられる。

対策: 近寄らない、関わらない事にしました。

hnaojisan@inter7.jp

 匿名 | 2013.07.06 1:15

追記

自分言っていることが現実化するかどうかは
全く責任がなく、妄想、虚言癖。

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