自己愛性人格障害(292) 母の日記
一昨年102歳で死去したボクの婆ちゃんは、
便宜上「婆ちゃん」と呼んでいたけれど、
普通一般の親等における婆ちゃんとはまた別である。
ボクの父の母は「かおる」という。
昭和19年6月26日、まだ30歳あまりで亡くなっている。
父はその時3歳で、まったく母を覚えていない。
叔母さん(父の姉)も、母の記憶はほとんどない。
かおる婆ちゃんは病床で死期は近いという自覚があったらしい。
なにせ、まだ3歳の息子と7歳の娘を残して死ぬのである。
子供たちの写真を眺めては「ずっと見てても飽きないねえ」と言っていたという。
かおる婆ちゃんは、死期を悟った上で、
病床で二人の子供に長い手紙を書いている。
父はその手紙はなくしたとのことだが、
叔母さんは70年以上経った今もきれいに保管している。
かおる婆ちゃんは、とても心のきれいな人だったと聞いている。
そして、幼い子供を残して若くして死んでいく母親の無念さが、
まるで文字の間から滲み出るような、涙なくして読めない手紙であった。
「わたしは、もうすぐ死ぬでしょう」
「母のない子と人様に笑われることのないよう、立派になりなさい」
かおる婆ちゃん、
ボクがその時3歳だったあなたの息子の子供です。
孫です。
*****
秋川リサという女優にボクは馴染みはないが、
ボクより上の世代の方々にはとても有名な方である。
写真を見ると60代の現在も品のあるステキな方だというのがわかる。
秋川リサの母親が年老いて介護が必要になった。
彼女はそれを「母の日記」という著書にまとめている。
しかし、これは、よくある介護日記などというものとは一線を画し、
内容は非常に後味の悪い、ムナクソ悪いものとなっている。
「母の日記」は、幼い頃からの自分の想い出から始まる。
そして母との想い出の数々は、典型的な毒親のそれであった。
それでも自分の母ということで、
貧しい家計を女優やモデルの仕事で支えてきたのである。
芸能界にいる娘の収入で、親や家族の面倒をみていたのである。
そんな毒親だった母も認知症になってしまった。
今では徘徊するなど目が離せないくらいボケてしまって、
もうまともな会話は成立しない、そんな状況になったある日、
偶然にも、母親が書いていた日記を発見するのである。
「あなたたちの両親がいかに悪い人かをわかってもらうために、この日記を孫に残します」
「娘なんて産まなければよかった」
「大っ嫌い」
「死んじまえ」
「生活の面倒を見てるからって、偉そうに」
そこで目にしたのは、
娘である秋川リサに対する、数十年に渡る罵詈雑言であった。
一緒に過ごした楽しい時間、母との旅行の想い出、
その時、母親はこういう事を考えていたのか。
言葉では感謝の言葉を述べつつも、その時、心ではこのように思っていたのか。
秋川リサにとっては、今までの人生が瓦解するほどの衝撃だっただろう。
ちょっと状況を想像しただけで倒れそうになる。
そして、真意を問いただそうにも、本人は既にボケてしまっている。
今、目の前にいる、自分が介護をしないと生きていけない老女が、
数十年、こんな事を書き続けていたのだ。
今回の話、結論はないけれど、
すっげえ後味の悪い、ムナクソの悪い話だと思った。
コメント2件
あいうえお | 2016.08.13 17:33
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160809-00175115-newsweek-int
この事件も自己愛がらみぽっいですね
ぽんず | 2016.07.10 23:38
母の四十九日法要のとき。
納骨直前、写真を遺骨にいれるんだと急に言い出し、勝手に車に戻ろうとして、時間が押してるお坊様をお待たせしたり(後で注意したら、そんなのは関係ない!待たせておけばいいんだ!と怒り出す始末)、相変わらず自己中な父に不快な一日でした。
どうも人が集まったり、時間が決まっているような場面では、単独行動をとり、周りを苛立たせるようです。他人を不快にさせて喜んだり、不快な顔を見ることで自己認知を満足させる、無意識の行動だったり言動だったりしますが、これは、自己愛性パーソナリティー障害の特徴にもありますね。不良少年のそれみたいに、団体行動をわざと乱して、自分に注目させたいのでしょう。
家では構ってもらえません。ところが人が集まった場所で困ったことをすると、周りに気を使い、家族が構ってくれます。これを無意識にやるんですね。
また、車に乗っていると、ずっと喋り続けます。風景を見ながらああだこうだいったり、自分もじじいのくせに、どこそこのじじいが、女が、と見下した言動をしますが、何とかして「エサ」に食いつかせ、構ってもらおうとします。これはもう徹底無視です。
全て無意識の行動、言動だから、本人には悪意はありません。そんな父に母はここ数年、拒絶反応を起こしていました。そのことを言い、父のせいで母はストレスを溜めてガンになったんだ。」とも言ったら、「違う。ガンになったからイライラして私に冷たく当たったんだ。」
抗がん剤の投与でみるみる体調が悪化していく母を横目に朝から飲んだくれて階段から落ちたり庭で騒いだり。(現実逃避)
そういったことは一切口にしません。父の中で自分に都合の悪いことは全てなかったことになっているようです。毎朝仏壇の前で、母との(都合のいい)思い出にひたり、ぶつぶつ遺影に話しかけ、泣いて、妻を亡くした可哀想な自分に浸っています。
食欲がないといいながら3食たべ、フルーツを買ってこいとせがむ。テレビを観てあれが旨そうだ。肉が食べたい。今日の会食には天ぷらがない。挙げ句には「太った」。
どこが食欲がないのですかね。突っ込むと、「食欲があったらいけないのか」と不満げ。自分で食欲がないといったのに。
はやくしねばいいのに。秋川リサみたいに介護なんてしたくないです。