自己愛性人格障害(378) 思想信条の自由の悪用 8「周囲への絶望」
きちんと書かねばという焦りに近いものを感じている。頭の中にある断片が消えぬよう早くと思って書いている。なので、ひとつのテーマについて書き始めると、テーマが脱線して別の話題の方に話が進んで行ったりする。これは人格障害の被害が横断的に重なっており、その特徴を円に例えるなら、その円が幾重にも重なり、色彩の濃淡はあれど、いずれも密接に繋がっているというのが原因であろう。同じような話が続くが、同じ事象でもわかりやすく、もっとわかりやすく、誰かに口頭で説明する場できちんと伝わるようにと、ワシ自身の確認のためにも書いているので、その辺はご容赦願いたい。
今回のテーマは「思想信条の自由の悪用」であるが、話題はいつの間にか「被害の流れ」になっている。人格障害者の被害は数あれど、代表的な、そして最も受けやすい被害について、段階にわけて書いている。現在【PHASE 1】【PHASE 2】【PHASE 3】まで書いた。きちんと最終的に当初のテーマ「思想信条の自由の悪用」にリンクするように構成を考えているので、順を追って咀嚼しつつ読んで欲しい。段階分けの区分けは以下の内容に分類してのものである。
【PHASE 1】自分に対する具体的な言動、動機やきっかけ
【PHASE 2】自分以外の周囲に対する言動
【PHASE 3】それを受けての周囲の反応、対応
特に【PHASE 1】と【PHASE 2】は同時多発テロで時間軸ではほぼ同時に行なわれる。ここで泣き寝入りをすると、嫌がらせは継続されるだろうが、それ以上は進まないかもしれない。人格障害者キョショーがストーカーになったのはワシの反論を受けてのことであって、その時点で泣き寝入りしていれば誹謗中傷だけで終わってたかもしれない。【(343) 人間交差点「あこがれ」】で紹介した母親のセリフである。「私が父さんに暴力をふるわれていても、それを叔母さんが喜んでいるうちは、それ以上の意地悪はしないと思っていた」。しかしこの段階で既に被害は自分のみにとどまらず自分の周囲に伝播しているので、多くの人は周囲に理解を求めたり嘘を否定すると思う。その結果が【PHASE 3】である。それぞれの詳細は過去記事を読んで欲しい。続いて【PHASE 4】である。
嘘をバラ撒かれ、嫌がらせをされ、周囲にそれが理解してもらえない。仕事やご近所付き合い程度であればまだマシだが、これが配偶者や家族間ともなると、絶望してshizukuさんのように死にたくなる。周囲に理解してもらえないツラさというのは言葉では中々伝わり難い。何せ周囲の人たちは心の底から人格障害者の嘘を信じていて、それを前提に話を進めるから話にならない。虐待を受けていた子供が祖母と母を殺した事件【(224) 子供 2 「事件」】では、犯人は殺害の前に何度も周囲や公の機関に相談したが、それらの対応に「大人は頼りにならない」と絶望した旨を裁判で証言している。
人格障害者の被害は、精神科医やカウンセラーであるというだけは理解できない。実際に被害に遭った人でなければ真の意味で理解できない。shizukuさんの妹は「姉へのモラハラの話を聞いていて、信じていないわけではなかったが、まさか死を選ぶほどだとは思わなかった」と、好意的で良好な関係かつ話を信じていた人でさえ、認識の度合に溝があった事を記している。精神科医やカウンセラーといった専門家でも理解出来ない、しかし被害に遭った人なら専門家でなくても理解できる、ここに人格障害の被害の難しさがある。ワシも当初よく言われたものだ。「専門家でもないのに勝手に人格障害だなどと決めつけるな」と。だから、それこそが誤った認識なのだが、世間一般の常識ではそう言われることも致し方ない。
普通の人には理解できない。しかし一旦、扉が開けば、詳しく聞かなくても被害状況は手に取るようにわかる。少なくとも、このブログを読んでいる人たちは「扉が開いた」人たちである。だからこそ頂いたコメントの状況があまりに鮮明に脳裏に浮かんでつらい。ことりんさんの「新たに涙を流しました」というコメントにワシも泣きそうなった。おそらく周囲の誰に言っても【PHASE 3】のような反応しか返ってこないだろう。しかしワシは一緒にもらい泣きしそうな気持ち。この受け取り方の温度差が、そのまま一般的な人格障害者被害の理解度の差だと思う。扉が開いた人にとってはツラくて一緒に泣きたくなるような事であっても、普通の人は「気にしなきゃいいじゃん」「そんなことするはずない」「被害妄想じゃない」なのだから、絶望したくなる。
ほら、話がずれてきた(笑)。【PHASE 4】を書くつもりが、その前段階で長くなってしまった。またすぐに続きを書くぜ!