自己愛性人格障害(253) すべて他人のせい その2
自己愛性人格障害(241) すべて他人のせい その1
の続きである。
人格障害者ウッキーは足に障害があり、
いつもクネクネ歩いている。
先天的なものか、後天的なものかは聞いたことがないが、
人格形成において身体障害が負の方面に大きく影響を与えたのは間違いない。
ボクの友人で、やはり足に障害がある40代の男性がいるのだが、
日常生活ではロフストランドクラッチという杖を使っている。
そして、この人の仕事は、そういう杖など、福祉用具販売の営業なのだ。
「いや~高校生の頃バイクでこけちゃって、それ以来、自分も愛用してますよ~」
これが彼の定番の営業トークである。
自分の障害すらアピールポイントに変換できるくらい、
明るく誰からも好かれる性格である。
ここで強調したいのは、同じ障害を持つ人でも、
それを自分でどう捉えるかで、ハンデでなくなるということである。
ボクの友人は、ハンデどころかウリにしているくらいである。
人格障害者ウッキーは、足の障害がすべての原因だと考えている。
いじめらていたのも、みんなにバカにされるのも、
自分がみんなに認めてもらえないのも、全部足の障害のせい。
これが人格障害者ウッキーの基本的な考え方である。
基本的にネガティブな方向へばかり考えが向かう。
だからいつもブツブツ不満や悪口ばかり言っている。
人格障害者特有の症状で、
自分の能力、人望のなさを、誰かのせい、何かのせいにしたい。
そこへ、ちょうど都合よく足に障害があるのだから便利なもんだ。
前述のボクの友人は、事故で障害を負ったのだが、
それを逆にアピールポイントにして仕事に活かしている。
高校生がバイクで事故だから、昔は相当ワルだったのだろう(笑)
不良を奨励するわけではないが、
多少、規格より外れていた方が世の中では上手くやっていける。
このブログで人格障害者ウッキーの足の障害のことを度々書いているが、
これは偏見で書いているのではなく、
あくまで人格障害を形成する要因としてであって、
ボクの友人のように障害をプラスにとらえて頑張って生きている、
そういう人は大好きなのだ。応援したいのだ。
人格障害者ウッキーのように、
自身の障害を何かにつけて言い訳の材料にする、
すべて足の障害のせいにしている、
その姿勢が嫌いなのだ。
同じ障害を持つ人間であっても、
それがハンデとなるかメリットとするかは、
結局、その人の人間性次第ということを伝えたくて、
今回のトピックを書いた。
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中学生の頃、同じクラスに学校一の不良A君がいた。
A君はよく補導されたり警察の世話になったりと、
とにかく忙しい奴だった。
ある時、A君とボクを含む何人かが「悪さ」をして、
それが学校にバレたことがあった。
数々の「前科」があったA君は、ボクたちとは別に呼び出されたから、
いかにA君が特別な不良だったかわかるだろう。
後で先生から聞いた話によると、
A君は「全部、自分ひとりでやった」と証言したそうである。
ボクたち仲間をかばって、全部自分ひとりの責任だと言ったのである。
A君は学校一の不良だったが、それでも人望があったのには理由がある。
悔しいけど、A君のそういうところはスゴイなあと思う。
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人格障害者ウッキーは訪問介護の管理者だった。
後の責任は自分が持つから、
思い切ってやれと部下を鼓舞するのが本来あるべき姿だろう。
ところが、人格障害者ウッキーは、
上司として、部下の責任をとるどころか、
自分のしたことですら、部下のせいにして責任逃れ。
いつも責任をなすりつけられていたのが、同僚の稲増恵美である。
何かあれば、あれは稲ちゃんが~、これは稲ちゃんが~と、
社長のボクに言い訳をしにくる。
わたしは反対したの稲増がと。
A君が今、何をしているか知らない。
もしかしたらヤクザになっているかもしれない。
それでも責任をとる度量を持っていたことは確かだ。
本来自分に帰すべきでない責任すらも被ろうとする。
立派なことだと思うし、
上に立つ人間にとっては、ごく当たり前のことだと思う。
「みんなが、わたしのことバカにするのは、足の障害のせい!ウキーッ!」
「悪いのは全部、稲増!ウキーッ!」
「悪いのは全部、社長!ウキーッ!」
「私は本当は反対したのに!ウキーッ!」
何かがズレてる。
みんなが人格障害者ウッキーをバカにする理由は、
そこじゃあ、ねえんだよ。
だからなんだよ。